青赤の誇りを胸に、11名を選んだら。

久しぶりの更新です。
日頃よりTwitterでの発信をご覧くださり、
ありがとうございます。

新型コロナウイルスによる社会情勢の急変、それに伴いリーグも中断し、ようやく7/4でのJ1リーグ戦再開の一報が届きました。

各チームがそれぞれ練習を始めていて、
FC東京も再開初戦の柏レイソル戦に向けて、小平グランドでの練習再開しています。

試合がない週末、
サッカーを通じての喜怒哀楽を感じることのない日々においても東京に関する発信は続けていきたいと考え、できる範囲で活動して参りました。
それにしても厳しく、長い時間でした。
試合あっての我々なので日頃の生活にも思うように身が入らないこともありました。

残る再開までの時間ですが、
愛するクラブへの気持ちを忘れず過ごせるよう「青赤歴代ベストイレブン」を選定しました。
発案から熟考を重ね、
大分時間が経ってしまいました。
完全に独断ですので、
あくまでも一個人の意見として
ご理解ください。
皆さんの意見も拝見する機会も是非、頂きたいです。

まずは最後尾、GKから!
GKは権田修一(現ポルティモネンセ)
FC東京での公式戦241試合出場
若くして東京のナビスコカップ制覇、降格、昇格(J2優勝)、天皇杯制覇、ACLなど多くの大舞台を経験して塩田仁史との熾烈な定位置争いを展開。
2012年のJ1敵地大宮戦では驚異の反射神経で2連続スーパーセーブを見せた。
個人的には何度か現地観戦に行ったロンドン五輪世代の日本代表でも常に中心的な存在で、J1チームでレギュラーを張る世代別代表とはどの時代でも貴重な存在だった。
PKストップや一対一の強さ、ハイボールへの処理能力は日本屈指で何度も危機を救った。
現在も森保A代表監督の構想では一番手であり、それをも納得させるだけの身体能力を有することは在籍時に証明させてくれた。

DF1は森重真人。
FC東京での公式戦366試合出場。
東京の象徴であり代表実績も豊富なセンターバック。国内外クラブから何度も接触されるも「東京での優勝」を切望して残留。
その東京愛、テクニカルなセンス、得点能力、対人の強さ、空中線勝率、キック精度の精密さ、経験値、熱き魂などキリがない魅力を兼ね備えた存在。
昔、私がユーロスポーツでユニフォームの背ネームプリントを "MORISHIGE" で提出したが人気で在庫切れとなっており購入できなかった苦い経験もある。
代表チームでの安定感も抜群で2014年のザンビア戦でのテクニカルなターンから本田圭佑へのアシストを決めた場面や、2015年アジアカップのUAE戦ではPK戦で5人のキッカーという大役を務め、ど真ん中に蹴り込んだ強心臓ぶり。常に代表クラスの存在感を発揮している。


DF2は今野泰幸。
FC東京での公式戦309試合出場。
長いキャリアの中でもやはり印象深いのは東京での時間だろう。代表活動と並行しながら多くの重要な場面での活躍、ディフェンシブな仕事をこなしながら得点にも絡む大車輪の働きぶりを見せていた。
森重真人と同じく、ここぞという場面での貴重なゴールやアシストは彼の強みでピッチでの頼もしさは随一だった。
多摩川クラシコでの勝負強さは印象的で何度も結果を残してきた。そのポジショニングセンスにも目を見張るものがある。
特にザッケローニ体制下の日本代表での貢献度は当時の彼の実力を物語るものでもあり、G大阪に移籍してもその実力は確かなものだった。
印象深いシーンは天皇杯決勝での同点ゴール。京都サンガにすぐさま追いついたあのヘディングゴールは派手さはなくとも巧さが凝縮されたシーンだった。


DF3は徳永悠平。
FC東京での公式戦500試合出場。
人材豊富な東京のサイドバックにおいて最も長く定位置を張り続けた鉄人的存在。
どんな時も球際で体を張り、ブレないメンタルと無尽蔵のスタミナでチームを助けた。
対人守備の強さは人間離れしており、独特の間合いで距離を詰めて自由を奪う。
隠れた魅力としてはミドルシュートも非常に精度の高いモノを持っている。
ユーティリティ性も大きな武器で左右サイドだけでなく、センターバックやボランチでも活躍し、様々なシステムと監督の下でもパフォーマンスを維持した。
ロンドン五輪のオーバーエイジ枠に選ばれ、国際舞台でも相変わらずの安定感を発揮してベスト4進出に貢献。いつでも代表レベルのプレーを見せ続けた彼は室屋成に背番号2を譲り、退団するまで真っ直ぐ走り続けた。


DMF1は米本拓司(現名古屋グランパス)
FC東京での公式戦295試合出場。
在籍10年でプロ入りから紆余曲折を経験した中盤のダイナモ。ボール奪取能力はピカイチで国内No1を争う。3度の前十字靭帯断裂という大袈裟を追うも何度も復活し、ファンを涙させた。懸命なリハビリは時には小平グランドでも垣間見られ、常に向上心を抱き努力する姿勢には感銘を受ける。
ナビスコカップ2009年の決勝では弾丸ミドルシュートを川島永嗣の守るゴールに突き刺し、ニューヒーロー賞を受賞。プロ入り後からここまで急速に成長した選手も珍しい。
そのポテンシャルの高さを生かし、あらゆる戦術にチャレンジし、適応を続けた。
WB1は長友佑都(現ガラタサライ)
FC東京での公式戦85試合出場。
彼の場合は存在感がとにかく強烈だった。
大卒で即戦力として出場し、且つ代表チームでの活動とも両立しながらハイパフォーマンスを維持し続ける意識の高さが際立っていた。
今や代表のベテラン的存在だが、若い頃からそのスタミナや攻撃力、左右センターリング能力や小柄ながら空中戦も勝利する肉体的な改造など幅広く成長を続けており、ストイックな姿勢は東京時代から一際輝いていた。
急成長を遂げる努力を見ていた羽生直剛は「最初は下手だったけど向上心が凄い」と絶賛しており、若い頃からも仲間から一目置かれる存在だった。
日本に戻ってくることがあれば、また東京であって欲しい。


WB2は太田宏介。
FC東京での公式戦217試合出場。
黄金の左足から放たれるセンターリングは驚異的な精度でワールドクラス。正確無比なフリーキックに加えて、プレースキックでほとんどの得点を演出。ここまでサイドバックの選手が試合の流れを左右するチームも珍しいほどに、チームの命運を握っていた選手だ。
以前、某サッカー誌のJリーガー投票では「センターリング部門」で堂々の第一位。
自他共に認める左足の精密さだ。
2015年のオランダ・フィテッセへの移籍があり最終戦の開催地である長崎で流した涙、そして再び戻ってきた2017年の強い決意は記憶に強く残る。「愛するクラブのために。」その言葉はプレー中の献身的な姿勢から強く感じ取ることが出来た。
OMF1は羽生直剛。
FC東京での公式戦255試合出場。
勢い良く突っ走る若手の台頭が激しい東京においても常に冷静で知的。聡明なプレーには持ち前の観察眼やアイデアが詰まっており、ここぞというところでスプリントする「走る能力」の高さも際立った。
なかなか目立たない試合においても歴代の監督が重宝してきた理由が必ずや存在する。ベテランと呼ばれる前から経験値は高く、メンタル的に繊細な部分もありながらチームを引っ張ってきた姿は称賛に値する。
近年では2015年のホーム・G大阪戦で見せたカウンター時の全力フリーランニングからのアシスト。汗をかくのも厭わない。

OMF2は東慶悟。
FC東京での公式戦269試合出場。
現在の頼れるキャプテン。彼からはネガティブな要素が見当たらない。常にチームを鼓舞し続け、自らを犠牲にしながらもチームの勝利のために貪欲にプレーする。元来はテクニシャン気質だが、東京に来てからはハードワークのイメージがすっかり定着し、健太監督も驚きを隠せなかった。
健太監督もそうだろうがロンドン五輪世代の10番だった東は独創性と高い技術力でチームを牽引する存在だったが、その能力はそのままにとにかく今は走る。「ここまで献身性のある選手だとは思わなかった」と話す通り、主将に据えチームの中心として考えるのにも納得のいくパフォーマンスだ。
どんな監督になろうと必死に戦ってきた東の姿を忘れることは出来ない。
FW1はルーカス。
FC東京での公式戦262試合出場。
苦しい時はいつも背中でチームを引っ張り、得点でチームを助け、仲間を支える言葉をかけるレジェンド的な存在。一度引退を決意してからまた日本に戻ってきて、青赤のユニフォームに袖を通した当時の頼もしさと言ったら尋常ではなかった。引退撤回など簡単にできるものではない。
多彩な得点パターンやチャンスメイクはブラジル人特有の類稀なるセンスで、他の選手に真似できるものでもない。
毎年のように外国籍選手の顔ぶれは変わるが、異国の地でこれだけ多大な貢献をしたルーカスへは賛辞を送りたい。

FW2は石川直宏。
FC東京での公式戦385試合出場。
苦しい時はいつも凛々しい背中を見せてくれた。東京が誇るスピードスターの存在感はいつも抜群で、得点に絡む確率が非常に高い。チャンスメイク力も備えており、左右両足から強烈なミドルシュートを放つ。その思い切りの良さから岡田武史監督時代の日本代表にも招集され、2010W杯本大会メンバー入りの当落戦上で望みを託したが叶わず。東京での活躍に専念し、2017年の引退まで小平でチームを盛り上げた。
特に2009年の大爆発はチームのビックサプライズであり、無理な体勢からもことごとく派手にシュートを決めていく身体能力の高さは見るものを魅了した。

忘れられない数々の大怪我もあった。かつての敵地でのレイソル戦、一矢報いるゴールを決めたナオさんは相手選手と接触してピッチに転倒してからボールの行方を見ずにそのまま立ち上がらなかった。
誰もが大怪我を確信する瞬間の絶望感を何度も味わったが、その度に這い上がった。同じ境遇にあったヨネにもその懸命な姿勢は多大な影響を与え、腐らずリハビリをこなし復活する姿は常に他の模範であった。
2017年のラストマッチ、私はJ3の方は観戦できずJ1のG大阪戦で見送りにいったが、痛みを感じさせないハツラツとしたプレーぶりに感銘を受けた。彼こそ、プロフェッショナルであると私は感じる。
選出を迷ったメンバーを紹介します。
GKは土肥洋一。2004年のナビスコ杯決勝、あの気迫のこもった表情でPKストップ。貫禄で言えば随一ではあったが、長きに渡って活躍した権田をセレクトした。

DFは茂庭照幸。180試合前後の出場歴、代表と並行しながら多くの監督の要求に応えたプロの鑑。後方にいて頼りになるとは茂庭のような存在である。

加えて加地亮。ジーコ監督時代の代表で重宝されていた加地が代表活動と並行しながら東京でも高いプレー水準を維持。積極果敢な攻めの姿勢に好印象で、2004年のナビスコ杯決勝では最後のPKを突き刺した。

MFは浅利悟。中盤のダイナモは彼からヨネへと継承され、背番号7としての生き様を十分に見せてくれた存在でストイックな姿勢には感銘を受けた。

更には梶山陽平。変態的テクニックは幾度となくサポーターを魅力し、ゲームメイク能力なら代表レベル。北京五輪世代の中心でもあり、10番を背負った東京ではフィジカル的なアドバンテージも生かし、プレーの幅は広がっていった。

FWは武藤嘉紀。大卒であれだけのインパクトを残したプレイヤーも稀。直ぐに代表まで上り詰め、とにかく結果を出し続ける向上心や野心を備えたストライカーだった。代表監督の前での勝負強さ、多彩な得点パターンなど若くてして海外移籍するのは納得の潜在能力だった。

最後にアマラオ。キングオブトーキョーの名の通り、東京ガス時代よりクラブに貢献してきたレジェンド。個人的には世代が違うのでプレーする姿を見たことがなく今回は選外ではあるが、彼の功績の大きさは周知の事実なのでしっかりと名前を刻んでおきたい。

ここまでが個人的に選出を最後まで迷った選手たちです。
もちろん現在、在籍中の選手を含めようとすればすぐにでも埋まってしまいそうではありましたが、出来るだけ幅広い視点で選出させて頂きました。

恐らく選手たちの年代が近代中心に偏ってしまったこととは思いますが、やはり歴史は上書きされていくものです。
偉大な選手たちが各ポジション台頭してきた証拠であると考えます。

ここに選ぶことのできなかった魅力あふれる選手たちから、なかなか期待に沿えず退団していった選手たちもそれぞれが東京に何かを残して去って行きました。

その物語の延長として、
今年も優勝目指して突っ走っていきましょう!

〜TOKYO Trajectory〜

愛するFC東京と日本サッカーの発展を願って、 日々発信していきます!

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