森重真人と優勝を目指すワケ。
青赤を応援している人達の決意は固まっているように感じた。
「森重と共に優勝しよう。」
これが合言葉となって、皆の思いが一つになればいい。そんなことを考えていたのは、どうやら自分だけはなかったようだ。
約半月後に迫るW杯ロシア大会を見据えた親善試合・ガーナ代表戦に臨む日本代表のメンバー27名が発表された。
西野監督の人選はハリルホジッチ前監督の招集リストからはこれまた違った視点での選出となり、香川真司や岡崎慎司が代表返り咲きを果たしたほか青山敏弘は約3年2ヶ月ぶりとなる復帰を果たすなどある程度計算できるメンバーを中心に構成されている印象だ。
「日本サッカー史上最大の激震」とも言える今回の一連の監督交代劇を踏まえれば、この際どんな人選になったとしても賛否の声が起こり得るのは想定できること。
それにしても中島翔哉や森岡亮太ら海外で結果を残している選手よりも、現在は出場機会に恵まれていない浅野拓磨や井手口陽介らを選出するその謎の基準。不満というよりは疑問の色が強い今回の日本代表メンバー選考となったことは間違いない。
そして今回、落選してしまった男の中に森重真人がいる。ここまで数多くの応援メッセージやコメントがTwitterなどで届けられているが、自分もこの落選に大きく落胆した中の一人だ。
現在のFC東京に所属する選手たちの中でも森重の存在感は頭一つ抜けていると言っても過言ではない。
それは以下を読んでもらえれば分かるだろう。
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彼は2006年にそのプロキャリアをスタートさせた。それまでは地元広島の強豪・サンフレッチェ広島ジュニアユースに所属し槙野智章らと共に活躍したがユース昇格を逃して酷く落胆。その後は高校から広島入りを狙うよう当時の恩師から助言を受け、広島県内の広島皆実高校へ進学。ディフェンシブハーフ、ボランチとしてプレーしU-17日本代表に選出されるなど頭角を現し、大分トリニータへの入団が決まる。
ルーキーイヤーこそ我慢のシーズンとなるが、その後はセンターバックへのコンバートもあり定位置を獲得。シャムスカ監督との出会いも大きな転機となり、着実にステップアップを果たす。
2008年には大分トリニータのナビスコ杯(現ルヴァン杯)制覇に大きく貢献。更に北京オリンピックメンバーにも飛び級で選ばれ、全3試合に出場。結果は振るわなかったが着実な成長を遂げる。その後はフル代表にも初招集。
しかし翌年の2009年は大分トリニータの歯車が噛み合わずJ2降格。チームの財政難などの問題も浮き彫りとなり退団を決めると、争奪戦の上でFC東京移籍を選択。
東京ではセンターバック、ボランチ両方を高いレベルでこなす能力が評価され一年目から定位置を確保。だが、彼を試練が襲う。なんと自身2年連続でのJ2降格。それでも彼はチーム残留を決意し、一年での返り咲きを誓う。
J2では貫禄を見せつけるチームと共に躍進し、アウェーのガイナーレ鳥取戦では直接FKを沈めて決勝点となりJ2優勝が決定する。有言実行を果たしたこの年は天皇杯も勝ち上がり、決勝では京都サンガを相手に再び無回転直接FKを突き刺さし初優勝へ導くなど大きな自信を得た一年となった。
「練習の中でそれぞれがアイディアを出し合ってきた。強いチームは、セットプレーで点を取れるチームが多い。守備においてもセットプレーからの失点というものも、GKコーチも含めて取り組んできた。」 天皇杯決勝後 本人コメントより。
その後はチームの柱・今野泰幸の退団もあってディフェンスリーダーとしてチームに君臨。J1の舞台で堂々たるプレーを披露したことがキッカケとなり、2013年の開幕前にはポポヴィッチ監督からキャプテンに任命される。パスサッカーの起点となる確かなビルドアップ能力や安定感を増した対人守備能力は国内屈指のレベルとなり、2008年以来となる日本代表に復帰を果たす。
ザッケローニ監督は森重の能力を高く評価し、東アジア杯2試合で起用すると地元韓国を破るなどして初優勝に貢献。ザッケローニからの評価を高めた森重は海外組を含めた代表にも継続的に招集され、センターバックで激しいレギュラー争いを展開。リーグ戦でもベストイレブンに初選出されるなど充実のシーズンを送り、そこから4年連続でベストイレブンに選ばれている。
2014年は無事にブラジルワールドカップメンバー23名に選ばれ、自身初の大舞台に挑むがこれが失意の経験となる。
本大会前の強化試合でのアピールに成功し、初戦のコートジボワール戦の先発を勝ち取るが本田圭佑の先制点を守りきれず、1-2での敗戦を喫する。ドログバやボニーら強力攻撃陣を対応しきれず、その後の2試合では出番なし。初戦の黒星で大打撃を食らったチームの最下位での敗退と共に、言葉では表せぬほどの悔しさを抱えたままブラジルを後にすることになる。
「この経験を決して無駄にしない」と誓った森重はチームに戻っても、キャプテンとしてチームを引っ張り新体制での日本代表にも引き続き招集される。
新監督のアギーレは森重を中盤の底(アンカー)でテストするなど、攻撃センスと守備能力を高いレベルで兼ね備えるポテンシャルを買って重宝する。
2015年初めのアジアカップに臨むメンバーに順当に選ばれ、全試合にフル出場を果たす。ラウンド8のUAE戦。PK戦に突入すると5人目のキッカーを任され、ど真ん中へ沈めた森重だったがその後が続かずチームはまさかのベスト8で散ることとなる。
ハリルホジッチ監督体制となってもその信頼は変わらず、森重自身初めてとなるワールドカップ予選を最初からほぼスタメンを確保したまま戦い抜き、ロシア大会の出場権を獲得する。そこまでには代表キャプテンを任されることもあり、代表チームの中堅以上の存在として認識され凛々しさを増した森重。
東京では2015年の年間4位を最高として、ここから2年間をチームにとっても彼自身にとっても苦しく険しいシーズンとなって行くことになる。ACLとの並行や監督交代、定まらぬ戦術など様々な問題に直面し何度も下を向いたキャプテン。低迷するチーム。そこまで主力だった代表から外される憂き目にも合うこととなる。更には全治約半年となる怪我を負った2017年途中。厳しい現実が次々と森重に突きつけられた。
それでも、どんな時であろうと勝利へ向けて闘い続ける。ピッチに戻る。
迎えた2018年。怪我を治して戻ってきた彼の左腕からキャプテンマークはなくなった。5年間背負った主将としての重圧から解き放たれ、そのマークはチャンヒョンスの元へ。いままでの全ての経験が血となり、肉となり、骨となった森重真人はこの一年に懸けていた。
「あの忘れ物を取り戻しに行こう。」
失意のブラジル大会から早くも4年。ピッチの中で感じたあの悔しさ、ベンチから見た不甲斐なさやその全て。
その願いはロシアの地では叶わないかもしれない。その可能性は限りなく低いが、違った形で償うことはできるかもしれない。今年で31歳となる森重の残されたキャリアはそう長くはないだろう。
「東京で優勝しよう。」
この言葉は自然と頭に巡るものだ。
これだけ濃密な時間を東京で過ごしてきた森重とそれを支えてきた我々にとって。
何気ない一言かもしれないが、力強く、覚悟のこもった言葉であることは間違えない。真の強さを見せるべきときが来ている。
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