3人とも、ありがとう。


別れは突然だった。

諒也、髙萩、永井、本当にありがとう。


年齢的に海外移籍が想定されていた諒也はまだしも、特に後ろの2人はプロの世界では出場機会を求めて移籍することは当たり前なのに、心のどこかで「引退まで東京にいてくれたりするのかな」なんて思ってしまっていた自分もいる。
特に永井に関しては事前の報道等もなく、充分に試合に出ていた訳なので驚きも大きいが、健太監督のいる古巣・名古屋からの満額オファー等、背景を冷静に鑑みれば理解の及ぶ移籍なのだと思う。
いずれにせよ多大なる貢献をしてきた主力選手がこの夏、一挙に3人も抜けてしまった東京。変革の年で様々な別れも受け入れなければならず、大変心苦しいが3人へ感謝の思いを伝えたい。
 

小川諒也→ヴィトーリア🇵🇹

まず、諒也。 
どことなく上から目線の言い方になってしまい恐縮だが、諒也は本当に「偉い」と思う。
加入してから約5年間は太田宏介という大きな壁に阻まれていた中で決して腐ることがなかった。高卒加入のルーキーイヤーであった15年はプロの強度に慣れるための鍛錬の時期だったと解釈できる。

だが、16年に宏介が退団し、ACLやリーグ戦で台頭した飛躍の年だったにも関わらず翌年は再び復帰した宏介にポジションを奪われるという屈辱的なシーズンだった。17年のリーグ戦出場はわずか5試合。高い壁を前にレンタル移籍を考えてもおかしくなかった。

それでも健太さんが就任した18年に全力の慰留を受けてからは宏介と同等のパフォーマンスを見せ始めて、結果的にクラブが歴史上で最も優勝に近づいた19年シーズンは完全に諒也がポジションを掴んだのだ。


その後も右SBをやったり、CBをやったりと納得いかないことも多かったと思うが、諒也はどんな苦境に立たされても決して逃げることなく向き合った。

どんな状況でも東京と向き合い、自分自身と向き合ってきたことが成長へと繋がり、日本代表選出や海外からのオファーへと繋がっていったのだと感じる。

宏介と比べて粗削りな部分や守備の不安定さが否めなかった当初の諒也は19、20年辺りからすっかり変わった。体つきも変わった。気が付けば宏介がいなくても不安のないプレーと存在感でしっかりと主力の座を掴み取っていた。そして、自分の夢に向かって新しい挑戦をするのだからとても素敵だ。

外側に意識が逃げることなく、常に自分中心で努力し、高い牙城を崩してきた諒也をリスペクトしたい。代表に定着して長友の後継者として活躍してくれることを願っている。 

髙萩洋次郎→栃木SC

次に、髙萩。 
チーム内のリスペクトは随一だったと思う。それは選手としてだけでなく、一人の人間や父親としての姿も他の模範だったように映る。選手名鑑の「パパになってほしい人は?」の項目で髙萩を挙げる選手も多かったように感じる。

加入初年度は負傷離脱した森重のキャプテンマークを受け継ぎ、難しいワンアンカーを務めてくれた。苦しいチーム事情の中でも孤軍奮闘して大久保やウタカ、前田といったストライカーたちに卓越した技術力と洞察力でラストパスを通し続けた。
それ以降も他の信頼が自然と集まるようなパフォーマンスと振る舞いで信頼を確固たるものにしていく姿がとても格好良かった。

話題になった「下がるな!」や若手主体チームのアップ前に全体を集めて鼓舞するなどの精神的な支柱として活躍してくれた代えの利かないプロフェッショナルだった。
広島時代の髙萩は個人的に「テクニックがあるだけでそんな怖い選手ではないな」と勝手ながらあまり良い印象を抱いてはなかったが、東京に来てくれてイメージは一変した。

ここまで戦える選手であり、いるといないとではチームに大きな差がある選手だとは思わなかった。年を重ねるごとに出場時間も機会も減っていき、待望論がよく出る選手だったが、失ってみて初めて気づく存在価値の大きさなのだと思う。韓国から海を越えて、日本に戻って来てくれて感謝している。 

永井謙佑→名古屋グランパス

最後に、永井。 
ロンドン五輪世代のファンだった私は権田や東がいる東京に永井が来てくれるニュースを聞いたときに飛び跳ねるほど嬉しかったことを覚えている。とにかく足が速く、相手に脅威を与えられる選手であり、苦しい時にチームの突破口になってくれるだろうという期待が見事にハマった。

正直なところ、「足は速いけど巧くはないでしょ?」と他サポの友人から聞かれることがあるが、東京に加入してから近くで見てみると、実は非常に巧い選手だったという発見もあった。確かに変なトラップやパスミスをすることもあったが、ストライカーなだけあってシュート技術は高い。ヘディングも巧く、得点パターンが豊富だったことも魅力の一つだった。

特に19年にはリーグ戦で年間9ゴールを挙げたが、「それ決めるのか!」とサポーターが唸るようなテクニカルなゴールから永井らしい速攻からのゴールまで多彩な得点パターンを見せてくれた。どんどん成長していく姿が目に見えたし、健太さんが「切り込み隊長」と命名したようなチームの先頭で灰になるまで走れるアグレッシブなプレイヤーだった。

日本代表に復帰してアジア予選でゴールを決める姿や何度も見てきた肩の脱臼も印象的。優勝をかけた最終節・マリノス戦での強行出場での奮闘、ボールではなく自分がゴールに入ってしまったことも、20年には肩の手術から復帰を早めて4節のマリノス戦で大活躍したことも、ルヴァン杯の優勝も。
極めつけは20年の17節 仙台戦で後半43分から出場するとリードを守るべく果敢なチェイシングを続けて10分間にも満たないプレー時間でなんと“12スプリント“という魂の走りで勝利に貢献した。
チームの勝利のためには足を攣ろうが、酸欠になろうが関係ないという男気にある姿に今でも心が震えてくる。ピッチ外でもムードメーカー的存在で若手とベテランとの橋渡し役を担ってくれた良き兄貴分だったはずだ。軋轢が残っている名古屋でも、しっかり受け入れられるように自身が望んだFWで活躍してくれることを願っている。 


 
3人とも本当にありがとう。幸運を。 

〜TOKYO Trajectory〜

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